風は秋色

 7月末から仕事がバタバタしてブログを書く気力が出ん、そう思っているうちにあっという間に夏が終わり、秋風が吹き始めた。2年振りの上陸だと騒がれた台風は山梨には大きな被害も与えずに通り過ぎ、暖かな空気と秋の気配を運んできたようだ。仕事の方も設備の移設やら何やらで手配的な業務ばかりであったが、そういった仕事は夏と共に過ぎ去ったようで、ようやく本来やるべき仕事に手を付けられる状況になってきた。仕事的にはバタバタしていたにもかかわらず八ヶ岳や本栖湖など、山にバーベキューにと休日も休む暇なしの数ヶ月であり、あっという間に通り過ぎた夏だったと思いながらもやることはやっていたのだなと思い返すのであった。最近テレビで松田聖子の20歳頃のステージの様子が放映されていたが、久し振りに見聞きする彼女の歌は新鮮で、反射的にアマゾンで3枚もCDを買ってしまい、妻に買い過ぎだと怒られる始末。買ったのはファースト、セカンドアルバムと5番目のアルバム。5番目のアルバム「パイナップル」は中学時代になけなしの小遣いで買った思い出のアルバムだが、今聴くとファーストとセカンドが断然良い。おれがオヤジ化したからなのかどうかは分からないのだが、この2枚のアルバムでは松田聖子があえて伸ばさなかった方向性をかいま聴くことができる。簡単に言うと世良公則のようにパンチが利いた歌を歌っていて、この方向に進んでいっても面白かったのではないかと感じさせるのだ。しかし「パイナップル」になるとそれがなくなり、当初からあった発声の最後の部分をキュッと上げるような、習字で言う「跳ね」に相当するような、男性の大脳辺縁系をさりげなく刺激する歌い方を強調するようになっており、発売から27年にして、これが彼女をあそこまで大スターにのし上げたひとつの要素技術だったのか、と気付かせられたのであった。セカンドアルバムの5曲目の「風は秋色」にはしかしそういった気付くと耳に付いてしまい嫌いではないが少し気になってしまう「跳ね」がほとんどない、秋なのに何だか素直にワクワクしてしまう曲だ。この曲を聴いたのはほんの12歳、小学6年生の時だったが、その時の漠然とした可能性を感じていた気分がこの歌を聴くことで脳内に再現されるのかも知れない。最近は車の連装CDプレーヤに3枚セットして通勤の高速の行き帰りに再生しながら中央高速をかっ飛ばしている。